悪戦苦闘日記


2005年7月30日    デッキ修理に4ヵ月
今年3月に修理に出したシャープのビデオデッキがようやく帰ってきた。途中何度か直ったといって戻ってきていたが、一度もちゃんと動作しないまま自宅とメーカーの間を行ったり来たりしていた。近々では自宅用のテレビまで持ち帰り、ビデオ、テープと共に工場で動作検証して戻すという事で、そのまま1ヵ月以上連絡なしで放置されていた。最初の修理からだと実に4ヵ月以上かかっているので、その対応の遅さに痺れを切らしてメーカーにクレームの電話を入れると、なんとか今月中に戻すとの返事があった。そして期限ギリギリの昨日の夜、明日中に戻すとの電話があり、こちらの都合のよい時間を指定して翌日朝の連絡を待った。朝一でかかってきた電話はいつものサービスマンで、あれだけ言ってたのにもかかわらず、今日は遅い時間しか都合が付かないという。4ヵ月以上待たせた挙句この対応・・・、さすがに今回は頭に来たので、強い口調でそれを一蹴し、午前中に持ってくるよう再度要請する。するとこのサービスマン、掌を返したようにすぐに行きますというので、その返事に呆れながら彼が来るのを待った。元々来れるのがわかってるんだから、最初からそういう風に返事すればいいのに、なぜそれが出来ない? メーカーは商品を売って利益を上げているから、アフターサービスに力を入れると新製品が売れなくなる。つまり昔の製品を大事に使っているユーザーは正直ありがたくないのだ。よって適度に手を抜く、これはどこのメーカーも同じなのかもしれない。であれば、今以上にいい商品を安く提供するのが、日本のメーカーの義務だと思う。

2005年7月26日    地震で足止め花火大会
天災は忘れた頃にやってくる。7月23日は待ちに待った調布市花火大会の日。午後から準備を始め、いつでも出かけられる体制にして家でリラックスしていた。そろそろ出かけようかと思ってた夕方頃、突然遠くからゴーッという音がして、部屋が小刻みに揺れ始めた。これは地震だ。しかもこの揺れ方はさらに大きくなりそうな感じ・・・、そう思った瞬間に大きな横揺れが来て、部屋の鏡台が倒れてドーンと大きな音がした。マンションはギシギシと音を立てて揺れ続け、なすすべもないまま揺れに身を任せる。そのまま10数秒が経過、ようやく揺れが止まったので、窓を開け外の様子を確かめる。どうやら被害らしきものは出てないようで、公園で遊ぶ子供達の声が何事もなかったように聞こえてきた。一安心でテレビの地震速報を見てみると、うちの周辺は震度5弱、都内の一部では震度5強を記録していて、かなり大きな地震だった事がわかった。都内からの中継映像は普段と特に変わった様子はなく、普通に車が行き交い人も歩いている。電車は止まっているとの速報が流れるが、これはいつもの事なので、小一時間で復旧するだろうと思って気にもしてなかった。しかし、これが甘かった。最寄の駅まで行ってみるとJRは全線で止まっていて、復旧の見通しは不明だというアナウンスが流れていた。足止めを食らう浴衣姿の乗客が多数、振替のバスにも長蛇の列ができていて、収拾が付かなくなっていた。これはマズイと思いすぐに自宅へ引き返し、急いで車を出して調布方面に向けて走らせた。渋滞する道路、迫る花火の打上時間、とても間に合いそうにないので、調布FMの花火中継を聞きながら多摩川の土手をひた走る。そして打上開始、カーラジオからは花火の炸裂する音が空しく聞こえてきた。

2005年7月22日    日本の夏
関東地方の盆は7月15日で、西の人間としては少々違和感があるが、この時期を前後して各地で盆踊りが行われている。盆踊りというと町内会のこじんまりしたもの、今までそんな印象を受けていたので、近くでやっててもわざわざ見にいくような事はしなかった。しかし風の噂によると、總持寺で行われているものはその規模も盛り上がり方も想像以上で、実に面白いという。また川崎大師では夏の風物詩・風鈴市が行われ、初日の夕方から風鈴市音頭という大規模な流し&和踊りが披露されるとの事。これはどちらも見るしかないので、夕方からの僅かな時間を使って、両方の盆踊りを見に行く事にした。川崎大師、こちらはまったりと風鈴市が行われていて、盆踊りの気配すらなかった。しばらくすると遠くから風鈴市音頭が聞こえてきて、仲見世通りからの流し踊りがそのまま境内へと入ってきた。踊り子の数500人、そろいの浴衣で場内を回り、あっという間に巨大な人の和ができた。歌は生歌に変わり、日舞の若師匠が輪の中心でしなやかに踊って、これぞ日本の盆踊りという風景になった。夕暮れまでに踊りは終了し、日没後は何事もなかったように風鈴市に戻った。總持寺の盆踊りは3日間通して行われ、夕方頃は普通の盆踊りをやっている。しかしこれは単なる予兆で、辺りが暗くなり始めると次第に盛り上がり始め、浴衣姿の若者が多くなる。場内に一休さんの曲がかかると、周囲で休んでいた人達が猛烈な勢いで櫓に向かって突進し、テンションを上げて踊り出す。一緒に踊っていた坊さん達も豹変し、激しく乱舞し一気に場内はヒートアップ。若い娘が飛ぶわ跳ねるわ、「愛してる〜」と大声で叫びながら踊り続ける。曲は延々一休さん、生坊主と浴衣娘の宴は体力の限界まで続けられた。今年も日本の夏は熱い。

2005年7月18日    絶好の花火観覧ポイント
横浜の夏の風物詩、花火大会。「横浜開港記念みなと祭・国際花火大会」は3連休の中日に開催されるようになり、50回記念大会である今年は7000発が打ち上げられる。今年の人出予想は50万人、みなとみらい地区や山下公園周辺は前々日から席取合戦が始まり、当日朝にはシートを敷くスペースもすっかりなくなっていた。地下開業以来人出は増える一方で、わざわざ見に行っても見えるのは高層ビルと人の頭だけ、帰りの混雑も半端じゃないので、それを考えると出かけるのはおっくうになる。さてどうするか。そういえば昨年はCATVで中継があり、部屋でゆっくりテレビで見たのを思い出した。調べてみると今年も中継はあり、開始から終了までの全てを生で放送するという。これはラッキー。さっそくカウチポテトの準備をし、クーラーと空気清浄機を効かせた爽やかな部屋でそれを見る事にした。花火大会が始まり、いきなり大きな花火が上がると、テレビの音より少々遅れて背中で大きな音がする。そう、これはまぎれもない花火の音。うち部屋は周囲の建物に遮られて横浜市内の風景は見えない。しかし音だけはちゃんと届いてくるので、妙な臨場感がある。涼しい部屋でピザやポテトを食べながら見る花火、これもまた都会ならではの夏の風情!?

2005年7月15日    深夜のパソコン大クラッシュ
昨年のよさこいの楽曲をパソコンで聞いていたら、メディアプレーヤーが止まらなくなり、キーの操作も全く受け付けなくなった。パソコンからはいつまでも同じ曲のフレーズが繰り返され、途方にくれる。どうにも動かないので、やむなくパワーボタンで強制終了させると、カクッとHDのヤな音がして電源が落ちた。再起動させてみるとHDの音だけがカラカラ・・・と響き渡り、いつまでたっても動く気配はない。あ〜、こりゃHD逝ったな、落胆しながら尚も再起動を繰り返すと、なんとか初期画面だけは表示された。しかし相変わらずキーの操作は受け付けず、そのまま2時間経過・・・。修復を諦めた頃、画面左下に黄色のアイコンが表示され、勝手に何かDLし始めた。そういえば昨日、配布され始めたばかりの「MSアップデート」をインストールしたのだった。かなり重たいファイルのようで、DLには時間がかかっている。これはひょっとしたら治るかも・・・、と思ったらいきなり再起動画面になった。 ブルーの画面が表示され、しばらくそのまま固まる。動く事を祈りながら待っていると、HDがカリカリ・・・、システムの更新をしているようだった。そしていきなり初期画面が表示される。おそるおそるマイドキュメントをダブルクリックすると、フォルダが開いて中身を見る事ができた。あ〜やれやれ、たまたま不具合のあったところを、更新データが上書きしたようだ。データも無事で、その他の操作も多少もたつくものの動作は確認できた。気がつけば時間は午前3時、HDよりも頭の方がクラッシュしそうな感じ。

2005年7月12日    湘南ひらつか七夕祭り
日本三大七夕祭りのひとつ、「湘南ひらつか七夕祭り」。今やその規模は仙台や安城をはるかに凌ぎ、300万人を動員する日本一の七夕祭りとなった。この時期は天気が荒れることが多く、毎年見に行ってるわりにはスッキリ晴れた事が一度もない。今年もそうだった。週末の天気予報は曇りのち雨で、夕方まで持ちこたえるかどうかわからない状態。万が一に備えて携帯合羽とビニール袋をリュックに詰めて、いざ平塚へ向けて出発。七夕祭りの目的はもちろん竹飾りを見る事だが、同時開催のよさこいイベント「星舞フェスタ」もあるので、最初にメインストリートを軽く見て、そのまま歩いてイベント会場入り。ステージ開始30分前から終了までの2時間半を、大混雑の中で過ごす事となった。第一部のイベントが終了し、休憩のため屋台に入ると、そこは大ぼったくりの店で一般店の倍の値段で商品を出していた。やむなく飲物だけ頼んで早々に退散し、第二部のある会場の下見に行く。しかしどこを探してもステージらしきところはなく、係員に聞いても知っている人はいなかった。ふと市民センターの前を見ると、そこに人垣ができているのを発見した。行ってみるとそこはテニスコート1つ分もない小さな公園で、人垣の隙間から星舞フェスタと書いた横断幕が見えた。これはちょっと辛い・・・、見るのを断念して駅の方に向かうと、突然大雨が降り出し駅のコンコースに避難。電飾の七夕飾りをゆっくり見物するつもりだったが、雨が止む気配がなかったので、そのまま帰る事にした。星舞フェスタも雨にたたられ、ここでおしまいとなった。

2005年7月8日    がんばっていきまっしょい
瀬戸の夕日の中を進むボート。流れる汗も拭わずに、ただひたすらにオールを動かす彼女達。悩んだり、喜んだり、悲しんだり、そうして少しづつ大人になっていく・・・。誰もが通り過ぎてきたあの頃、みんなキラキラ輝いていた。7月7日から始まったフジテレビのドラマ、「がんばっていきまっしょい」は、同タイトル映画のリメイク版で、我が故郷愛媛を舞台にした青春ストーリー。松山東高ボート部をモデルにしたこの作品は、事実を基に構成されていて、ロケも同校やその周辺で実際に行われている。高校時代を松山で過ごした自分にとって、映像の中の出来事はまるで当時の自分がそこにいるようで、懐かしくも愛おしくもある。見慣れた海や浜辺、もう記憶は遠い所に行ってしまったけど、まっすぐでピュアだった気持ちは今も変わってないかな・・・。ギターばっかり弾いてたけど、最後にケースの蓋を閉めたのはもう随分前。鳴らす主のいないギターは、今は実家の倉庫で眠っている。夢は叶わなかった。
「がんばっていきまっしょい」、それは時代を超えた元気になる言葉。リアルな青春、ちょっと昔の青春、みんなまとめて明日もがんばっていきまっしょい!

2005年7月5日    白い椅子の陰
渋谷の公園通りを上っていくと、「時間割」という喫茶店がある。 今は地下に潜ってしまっっているが、この店こそがNSPの名曲、 「白い椅子の陰」のモデルとなったところ。この曲は「あなたこっちを振向いて」のB面に入っている曲で、いくつかのアルバムにもセレクトされている。当時はレコードなんて買えないから、B面の曲なんて全く知らず、友人から借りてきたアルバムで初めてその曲を知る事となる。なので曲が発表されて随分たってからの事だと思う。アコースティックギター2本のみのイントロが印象的で、その部分をコピーして何度となく弾いた。どこにでもあるシンプルなラブソングなのに、ギターの音に妙な哀愁があり、聞くたびにその切なさが伝わってくる。彼らの曲調としてはスタンダードではないのに、なぜか一番印象に残っている曲、当時録音したカセットテープが擦り切れるほど聞いたのを覚えている。そのアルバムを貸してくれた友人は、10余年前にこの世を去った。そして曲を作ったNSPのリーダー、天野滋氏が昨日亡くなった。ガラス窓の向こうにもう彼の姿はない。
 
〜ガラス窓の向こうには ラッシュアワーでバスが行く あのバスから降りてくる 君の姿が見えてくる〜 


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