悪戦苦闘日記


2003年10月30日    テレビに出演!?
10月29日、日本テレビのニュース番組「きょうの出来事」の特集で、新居浜太鼓祭りが放送された。テレビ番組表には「熱狂30万人山車激突…ケンカ祭りに密着」とあり、なんだか凄いタイトルになっていた。太鼓台は山車ではない、太鼓台だなどと思いつつ、放送が始まるのをじっと待つ。これが収録されたのは10月16日〜18日の3日間で、基本的にはヒューマンドキュメントという話だった。出演はかつ氏、祭り期間中の完全密着取材で同行カメラマンが常時2人いた。帰省のの夜行バスからずっと一緒で、東京に帰るまでの全日程を同行するという。祭り初日、久保田太鼓台に遭遇した。そう、彼はこの地区の担夫、つまり担ぎ手で、毎年東京から帰省している。常に最前線にポジションを取り、どこにいても新居浜弁を巧みに使いこなすこの男を、祭り関係者で知らない人はいない。単純にビデオ出演本数だけでも、Vシネマ王・清水健太郎をも凌ぐ凄い奴なのだ。しかしまさか新居浜祭りで、この2人が対極する事になろうとは誰もが予想しなかったところ。大江浜、一宮神社で大江太鼓台の重係、指揮を務める清水。かたや久保田太鼓台の担夫最前線をになうかつ氏。一瞬であったが、その2人が同じフレームに納まった。今年の祭りは地元川西地区に重点を置き、3日間可能な限りのスケジュールを組んだ。そのおかげで久保田太鼓台には再三遭遇、つまり密着取材班にも毎回逢うことになる。最終日の昭和通り、知り合いにバッタリ遭遇し祭りの話をしていた。前方に久保田太鼓台がいたので、そのまま近くに行くと、いつものようにかつ氏と取材班がいた。3人でまた祭りの話を始め、これがやたらと盛り上がって大爆笑、そこでふと気が付く。カメラが回っているのだ。いや、常に回っているので最初からあまり気にしてなかったのだ。しかし調子に乗りすぎて、かなり大きなアクションで笑ってしまった。一瞬冷や汗、これはオンエアーされてしまうかもと思った。しかし3日間72時間を8分30秒に編集するんだから大丈夫、そんな気もした。29日11時24分、番組が始まった。特集のコーナーになり、テレビの画面を食い入るように見る。かつ氏はマイペースで登場、話は中盤へと進んだ頃、突然自分の姿が画面に映った。ありゃ〜、やっぱりあの場面が・・・、しばらく絶句、そして大笑い。予想はしていても、本当にオンエアーされるとは(笑)。他にいいシーンはいくらでもあるのにな。そんなわけで全国に正体を晒す事になってしまった。しかし今年、姿を晒したのはこれだけではなかった。スーパーよさこいのビデオを見ていると、そこにも自分の姿が・・・。なかなか悪い事はできないものである。

2003年10月29日    東京モーターショー2003
2年に一度の大イベント、東京モーターショー。今回もどこかで時間を作っていこうと思っていたら、ちょうど29日のスケジュールが空白になった。これはチャンスと思い立って、突然幕張を目指す事に。イベント情報等を収集していて家を出る時間が少し遅くなったので、現地に着いたのは既にお昼過ぎ、海浜幕張の駅は人で溢れていた。駅から会場までがまた大行列で、その中に紛れてズルズルと会場入り口まで歩く。東京駅で前売り切符を買っていたので、入場自体は思ったよりもスムーズにいった。展示会場は前回と同じ配置で、空いていると思われる二輪車の展示場から入場し、さっそくホンダのブースから見始める。このモーターショーは車のイベントと思われがちだが、意外にバイクも充実していて、二輪ファンで大賑わい。車と違ってコンパニオンがあまりいないので、純粋にバイクだけを見る事ができる貴重な会場だ。なのでここにいる人達は本当の二輪ファンと言っていい。国内4メーカーを中心に見て回り、その後本編である乗用車の展示場に移動する。中央のホールに入ると、そこはもう新居浜祭りの一宮神社状態だった。人・人・人、入り口周辺は移動する事さえ困難な状態。脇の通路を抜けて、ようやく会場中心部に移動できた。各ブースを巡回し始めて思う。これは車のフェスティバルじゃなくて、コンパニオンの展示会? そう思えるほどコンパニオンのおねえさんが前面に出ている。よって純粋に車の写真だけ撮りたくても、必ずおねえさんがフレームインするのだ。会場内にはカメラを持った人が多く、特に秋葉原によくいるような「デブヲタ」で溢れていた。リュックを背負ってハンカチで額を拭きながら、彼らはコンパニオンにポーズを要求する。おねえさん達も慣れたもので、プロの笑顔でそれに答え、さらにセクシーポーズで彼らに迫る。横目でそれを見ながらちょっとだけシャッターを押す、結局自分も同じ穴のムジナ(笑)。会場内を一通り回り、昼食のため一度休憩。再度巡回を始めたらさらに人が増えていて、トヨタのブース等は人垣でステージさえまともに見れなかった。今回のモーターショーで思った事。それは特に目立ったブースがなかった事、前回、前々回より地味になって出展も減っている事、場内の目線がコンパニオンに集中している事だった。得にコンパニオンの質が上がっている訳でもないが、車に魅力がない分、おねえさん達に目線が行くのはしょうがないのかもしれない。自分は一体何をしに行ったんだろう? でもみんな、可愛かったよ(笑)。

2003年10月26日    カワサキハロウィン
あきれたイベントから一夜明けて、今日はとてもいい天気。午前中は家でゴロ寝、せっかくなので午後からは川崎に行く事にした。実はこの界隈、昨日からハロウィンのイベントをやっている。ラ・チッタ・デッラを中心に、様々なイベントが行われ、目玉に超ハイテンションな仮装&ダンスパレードがある。チネチッタ前に行ってみると、いるいる、変なコスプレの集団。コスプレといっても半端なもののじゃない。かなり手が込んでいて、特殊メイクや本格的な衣装に身を包み成りきっている。中にはキル・ビル同様の衣装をまとった女性がいて、映画の看板の前で同じポーズで構えていた。しかしあまりにも太っているために周囲の失笑を買い、外人にもバカ受けしていた。今日はコスプレでラ・チッタ・デッラに行くと、色んな特典を受けられる。そのためかこの周辺は着ぐるみやお面をかぶった人が多く、よくいる変なおじさんの方がまともに見えた。しばらくすると、アーケード街から爆音がしてきた。最初はフロートしか見えなかったが、近くまで行ってみると大コスプレ軍団が徒党を組んで踊っている。このフロートは上がステージになっていて、踊るスペースがある。PAもしっかりしていて、腹にこたえる重低音と遠くまで通る大音量が気持ちいい。昨日の銀座のヘナチョコとは対照的だ。道いっぱいに広がったコスプレ軍団は、高いテンションで踊り続け周囲を圧倒。そのままラ・チッタ・デッラの方向へ一気に突進して行った。後発のフロートの後ろには外人も多く、これまた外人DJのテクノサウンドで激しいダンスを展開する。クラブ系といえば今はトランスやテクノが主流なんだろうか。最近はディスコも復活しているようで、どのようなものが流行っているのか良く知らない。もちろんよさこいなどの和風音楽とは一線を画していて、踊り方などは全く違う。しかしよさこいもいろんな音楽や踊りが融合し、もう和風とはとても言える状態じゃない。今踊っている彼らに鳴子を渡すと、これもまた新型のよさこいという事になるんだろうか。であればなんか嬉しいような悲しいような。何はともあれこのイベントは、昨日のくだらない出来事を払拭してくれたようだ。来週はいよいよ川崎祭り、と思ったらドリームよさこいと日程がかぶっていた。

2003年10月25日    江戸東京“華”パレード
「江戸東京“華”パレード」、江戸開府400年記念事業の目玉として企画されたこのイベント、全国から多数の団体が参加する、今年東京で行われる最大のパレードだ。開始時間が14時と少し遅かったので、家をお昼過ぎに出て東京駅まで行く。スタート地点は日本橋で、まだ少し時間に余裕があったので八重洲地下街で軽く昼食を取り、現地に向かう。歩く事役10分、日本橋が見えてきたと思ったら、沿道にはもうかなりの人が集まっていた。少し焦りながらスタート地点を目指して歩き、やっとたどり着いたら時間はちょうど14時。そこでいきなりパレードが始まった。しばらくは先導隊など、ブラスバンドが中心だったので、今日見たかったよさこい関係のスタンバイの様子を見学。しばらくそこにいてスタートを待ち、カメラを構えていた。しかしいつまでたっても本隊のスタートは始まらず、先導隊がじっとして同じ場所で同じ楽曲を繰り返すだけ。予定時間を30分余り過ぎた頃、ようやくメインの時代別パレードが少しづつ動き出した。最初のチームの流しが始まる。ん? なんか音が小さいし、進むのがやたらと早い。あれだけ詰まっていた先導隊が知らぬ間にはけて、前方にいる部隊がわからなくなっていた。最初の曲が終わったと思ったら、踊り子さんたちはいきなり走り出す。すぐそばではスタッフが「早くしろ、走れ!」なんて怒鳴っている。観客の前を走り続ける踊り子、沿道からは怒号、ブーイングの嵐。なんとか場所を確保していた自分も、それに伴って必死で走る。これがまた大変で、ちゃんと通路が確保されてないもんだから、走るのはおろか普通に歩くのも至難の業。銀座4丁目周辺はまさに修羅場で全く動きが取れず、裏通りに入ってダッシュ、それでも抜けられないので地下へ潜ってあらぬ方向へ走る、走る、走る。やっと地上に出たと思ったら、目的のチームははるか彼方へ。その後も踊り子は走り続け、こちらもまともに演舞が見られずのままゴールを迎える。ある程度のアクシデントは覚悟していたものの、こんなに酷い段取りのイベントは今まで経験した事がない。はるばる遠くから来た参加団体に失礼だし、それ以上にこれを楽しみに来た観客に失礼。全くお粗末としかいようがないこのイベント、後にも先にもこれ1回限りなので、もう取り返すことはできない。主催者はこの責任をどう取るつもりなのだろうか。まさか中央区の広報誌に、「大江戸東京“華”パレード」大盛況のうちに終わる、なんて書いてなきゃいいが。

2003年10月24日    恐怖の歯医者
今日は久々に歯医者の予約が入っている。前回親不知を抜いた時に歯槽膿漏を指摘され、その治療をするとの事だ。特別歯槽膿漏が激しいわけではない。しかし長年溜まった歯垢が歯茎を少し腫らしていて、これを除去しないと酷くなるらしい。事前に歯茎のチェックを受けていて、自分の場合はかなり根の深いところまで歯垢があり、これを全部除去するのには3ヵ月位かかるようだ。予約の時間に歯医者に行くと、同じような患者が何人かいた。一番奥の治療台に案内され、しばらく待つ。隣の席ではキーンという、あの歯医者独特の嫌な音がして、時々患者のうめくような声が聞こえてくる。これだから歯医者は嫌なのだ。席に座っているだけでドキドキする。しかしたかが歯垢除去と思うなかれ。普通の人はそんなに辛くはないが、自分の場合はポケットが深いのだ。歯茎の奥にとがった器具を突っ込まれると、とてつもなく痛いのだ。場合によっては麻酔をかけて処置に入る事もあるという。この麻酔の注射がまた嫌な感じで、歯茎をグサグサ注射針で刺されて気持ち悪い。少し待って歯科衛生士が登場、さっそく手に新たな凶器を持っている。恐怖で頭がクラクラしてくる。どうやら今日は、電動掘削機のようなもので歯垢を削り取るようだ。開口一番、さっそくこの嫌な機械が口の中で炸裂する。ガリガリッ、変な音がして何か削り取られているような感触がする。時々チクッと痛みが走り、冷や汗がタラリ。我慢我慢、拳を握りしめて、この嫌な機械の痛みに耐える。それにしても時間が長い。ここの歯医者は丁寧で有名なところだが、やはりかなり時間をかけてじっくり作業をしている。もう限界と思ったところで、ようやく一度口をすすぐために椅子が起こされる。口をすすいでやれやれと思っていたら、即刻椅子は倒されまた作業が再開された。我慢する事30分、下側の歯だけ歯垢の除去が終わった。今日のところはここまで、次回は上の歯をやるらしい。そしてその後が恐怖の手作業、戦いはまだまだ続く。

2003年10月21日    新居浜太鼓祭り
新居浜太鼓祭り、毎年10月16日〜18日、新居浜の街は祭り一色となる。今年は9月末で会社を辞め、フリーになったおかげで休日は自由。夏休みに帰省していなかったので、前後1日を足して帰省する事にした。いつもより1日早く帰省しため、祭り前日は隣町の土居町秋祭りを見物し、夜は前夜祭ともいえる大生院の夜太鼓を見に行く。翌日早朝2時、どこからともなく太鼓の音が聞こえてきた。これは毎年の事だが、太鼓台の本拠地となる各自治会館には早朝から人が集まってくる。実家のある川西地区はまだ遅い方で、上部地区になると早朝4時には既に宮入をしている。しかも2.5トンもある巨大な太鼓台を担いで、階段を登っていくのだ。これはにわかに信じがたいのだが、地元の人は当たり前のようにこれをこなす。これが本当の朝飯前といったところだろうか。朝が弱い自分としては、これを見に行く事すらできない。しかし今年初めて、朝参りの地元太鼓台を見に行った。太鼓祭り、別名男祭りとか喧嘩祭りといわれるこの祭りであるが、朝の氏参りは非常に神妙であった。この行事が終わると祭りが始まり、太鼓台は市内各地へ繰り出す。初日は殆んど自由運行で、御花、つまり御祝儀を貰いに回り、実質祭りは2日目からになる。最近は各地で初日の夜太鼓が開催されるようになり、今年も近くのショッピングセンターへ見に行く事にする。太鼓台の幕は殆んどが金糸で縫われているため、ライトアップされるとそれがキラキラ光ってとても綺麗だ。夜太鼓を2箇所で堪能、遅めの帰宅となる。翌日、この日が見る方も本番で、市内全地区をくまなく回らなければならない。延べ距離にして20キロ以上、去年はこれを自転車で回った。これがあまりにもキツかったので、今年はレンタカーを借りた。移動は楽、しかしどこにいても駐車場がないので、それを探すのにかなり時間がかかる。結局自転車よりも回る事ができずに、予定していた川東地区の一部をカットする。3日目は自転車と徒歩、前日の疲労がたまって地元川西だけの見物となる。相変わらず川西地区は喧嘩と小競り合い、予定時間を過ぎても動きがないので、一度家へ戻って休憩。日が暮れてから太鼓台は、提灯をつけて各自治会館に帰って行き、祭りは終わった。今年も3日間とも秋晴れで、いい祭りだった。

2003年10月14日    祭りモードに突入
今年もやって来たこの季節、新居浜太鼓祭り。社会人になってからは、祭りに帰れない事が多かったが、ここ3年は続けて帰っている。なぜかというと、それは会社に属してないからだ。今年の日程は3日間のうち2日が平日で、普通に勤めていたらまず休みは取れない。特に広告業界では、有給があっても休めるという事は殆んどない。今はちょうど会社を辞めて仕事の過渡期、休むにはベストシーズンだ。このところは祭り三昧で、浮かれているように見られるが、実は心から楽しいわけではない。次の仕事、つまり就職という事を考えるとかなり憂鬱だ。世間ではリストラの嵐、働き盛りの自分たちの世代がどんどん首を切られていく。残業や手当が減って収入源、米やガソリン、紙という生活必需品が根こそぎ上がって家計を圧迫。失業手当すらも半額支給なんて事になっている。早くレギュラーの仕事を見つなければ、これから先は生きていけない。気持ちは祭りモードなのに、それを素直に喜べない今の立場がなんともやるせない。正直帰省はお金がかかる。片道交通費2万×2×2人、ざっと8万が懐から飛んでいく。それにあわせて今回はレンタカー代2万、これはけっこう辛い。しかしこれから先、この時期に休みが取れる保障はないので、帰れる時には帰っておきたい。今日も足腰の状態はあまり良くない。新幹線と在来線を乗り継いで帰るにも、ざっと6時間はかかる。これはかなり腰に来そうだ。実は昨日のJRとのやり取りで、指定席は取れていない。空席確認にあまりにも時間がかかるので、やむを得ず自由席にて切符を購入したのだ。自由席は5両から3両に減らされているので、場合によっては座れないこともあり得る。乗り継ぎ列車はもっと厳しく、禁煙自由席はわずか1両、けっこう厳しい戦いだ。何はともあれ本日帰省、近況は気が向いた時に掲示板にて報告予定。でも携帯から書き込みするのは、面倒だし時間がかかる。やれやれ。

2003年10月13日    JRのスーパー長老
いよいよ今週は新居浜祭り、帰省切符を買うために最寄の駅まで行った。事前に指定券申込書を書いて、窓口に提出した。今日の窓口は今まで見た事のない白髪の長老社員。ベテランなのか、それとも全くの機会音痴なのか、見た目ではわからなかった。書面を受け取って、MARS(切符発券機)の前でしばらく固まっていたこの長老、後ろから出てきた中堅社員に促されて、ようやく機械を叩き始めた。嫌な予感・・・。長老、ノロノロと機械をいじって、いつまでたっても空席確認ができない。待つこと10分、まだディスプレイを見て考え込んでいる。それを見た別の社員が再度やってきて、操作の仕方を指導し、また裏方へ引っ込んでいった。MARSとはそんなに難しい機械ではない。パソコンでサイバーステーションの予約画面を見るのと基本は同じ。もちろんパソコンで予約できるが、それと同じ事を機械に入力するだけ。空席の確認など、ものの10秒でできてしまうのだ。中堅の社員が出てきて、また後ろからなにやら言っている。ようやく画面が出てきて、長老は初めて口を開く。「空席はありません」。そんなアホな、さっきパソコンで画面を見てきたばっかりで、充分空席はあった。その事を告げると後ろの社員が長老に操作を説明、正しい空席情報が出てきた。もちろん空席有。今度はここから発券作業だ。既に後ろは長蛇の列ができていて、ブーイングが始まる。さらに後ろから若い女が割り込んできた。他の社員に一蹴されたこの女、後ろで舌打ちをしたり、ブツブツ文句を言い続け、非常に不愉快。しかしこんな奴はこの辺にはよくいる、作業の遅い長老が悪いのだ。この発券作業も長期戦となり、さらに10分が過ぎる。人々の怒りはピークに達し、もの凄い雰囲気になってきた。出てきた切符をまたゆっくり眺めている長老、ようやく電卓を出して値段の集計作業を始める。これがまた素晴らしく遅く、指でひとつひとつキーを確認しながら打つ。出てきた金額はあっていたが、お釣りの計算ができないらしく、また電卓を叩き始める。端数を渡していたため、お釣りは2000円ちょっきりのはず、いちいち電卓など叩く必要はない。で、出てきた金額は全く違う。オロオロしながらようやく端数がないことに気づき、お釣りを貰う。それにしてもJR、よくこんな社員を抱えているものだ。いや、それよりもこの人は今まで一体何をやってきたんだろう。今さらOA機器が使えないなんてありえない。裏方も裏方で見てるだけ、手の空いている人間がいるのに代りはやらない。この辺が親方日の丸の元国鉄、体質はJRになっても変わらないようだ。

2003年10月12日    日枝神社例大祭
3連休の中日、各地で祭りやイベントが目白押しだ。今日も朝から外が騒がしく、神輿の掛け声や笛・太鼓の音がしてくる。地元の祭りとはいえ、あまり興味がないのでしばらく朝寝する。それでも向かいの詰所に神輿が置いてあるため、突然騒がしくなったりして結局眠れず、起きてテレビを見る。相変わらず足腰の痛みが良くならないので、今日こそおとなしく寝ていようと思った。しかし祭りが近いというのに、帰省切符やレンタカー手配の手配がまでだで、お土産すら買ってない。手元に現金もなかったので、やむなく出かける事になる。現金の引き出しは近所の郵便局でできる。切符の手配も最寄の駅まで行けばいい。問題はお土産だ。さすがにこれは近所では揃わないので、歩いて川崎まで出かける。デパートの贈答品売り場と地下街を見て歩き、いつも買っている菓子折りをひとつ買って、ついでに本屋で時刻表を購入。足腰が痛いので薬局にもよって、ビタミンB/E錠も買った。あとは切符だが、まだ予定が確定してないのでこれは明日へと先送りにした。レンタカー屋に電話をして、空いていた車を何とか確保、一応帰る用意ができた。これで腰が治ってくれれば万々歳なんだが、そうは問屋は卸さないらしい。歩くのが辛いという事は、自転車に乗るのも辛く、車を運転するのも辛い。つまり外に出るという行為は全て痛みを伴うという事。これから先が思いやられる。帰り道に日枝神社の前を通ると、ちょうど宮入が始まっていて、せっかくなので見て帰る。ここの神輿は去年新調されたばかりで、あちこちに金を使ったかなり豪華なもの。全体的に小振りで質素な関東の神輿としては、異例に大きい。もちろん太鼓台よりは全然小さいが、見た目にはかなり重量感がある。奉納が終わり、最後の担ぎを見届けて、おとなしく家へ帰った。祭りのあとの寂しさを先取りしたような、なんだか変な気持ちになった。

2003年10月11日    ちくさんフードフェア2003
相変わらず腰が痛み、坐骨神経もピリピリしている。しばらくおとなしく寝ていたら、なんだか外が騒がしくなってきた。そういえば今日から日枝神社のお祭りだ。じっとしていられないので、さっそく川崎みなと祭りに行く事にした。(そっちかよ!) 歩くのは辛いのでコルセットをしっかり絞め、車に乗り込む。場所は川崎マリエン、太平洋が見渡せる眺めのいいスポットだ。海底トンネルを抜けて扇島へ上陸、大した渋滞もなく30分弱で着く。現地に着いて車を止めようとしたら、なんだか様子がおかしい。ブースはまだ全然できてないし、人も殆んどいない。警備員がやって来て一言、「祭りは明日からですよ」。え〜、そうだったのか。勘違いと思って少し先まで走ると、何か大きなイベントをやっていた。入り口にはちくさんフードフェア2003と書いてあって、臨時バスが次々と中に吸い込まれていく。駐車場もあり入場も無料、せっかくなのでこれに寄っていく事にした。中に入ってまず驚いたのはその広さ。ここは食肉の流通センターで、その辺にある市場なんかよりも何倍も大きい。もちろん駐車場だって数千台は止められそうだ。会場内には数多くの飲食関係の出店があり、普段見慣れないものがたくさん売ってあった。笑ったのは阿波踊りならぬ、「阿波尾鶏」というもので、これは徳島の名産の鶏肉。最近流行の土佐のゆずぽんもあって、そのネーミングが「すっぽんぽん」。四国の食べ物は、以外とシャレが効いている。会場奥にある家畜ふれあい広場でしばらく動物と戯れた後、食肉コーナーへ向かう。ここでは無料でクローン牛の試食が行われていた。さっそく列に並び、その肉を頂く。味はまあ普通、驚くような感じではない。隣でお茶、さらにその隣でモツ煮込みがふるまわれていたので、ついでにそれも頂いていく。来た時間が遅かったせいか試食は余り気味で、都合ステーキ2皿、モツ煮込み3杯、テールスープ1杯、麦茶3杯を平らげた。もうお腹はパンパン、お昼を食べてこなくてよかった(笑)。施設内では食品の販売をしており、これがかなり安い。から揚げ鶏肉1キロ+豚カツ5枚+フランクフルト2本のセットが200円、伊藤園のストレートジュースが30本で1000円、横浜中華街江戸清の豚まんが600円で、これ全部内税。もちろん買って帰った。このフェアは日本食品流通センターがやっていて、同時にジャパンミートピア2003というイベントが開催されている。今日のステージはハマコイ(ようするによさこい)で、明日は阿波踊りの予定。何で食肉フェアに踊りなのかはわからないが、なかなか楽しいイベントだった。

2003年10月10日    横浜中華街雙十節
今日は10月10日、昔でいえば体育の日。この日横浜では中華街で雙十節が行われる。雙十節とは何かというと、中華民国(台湾)の建国記念日で、十の文字が二つ重なる日、つまり10月10日を意味するもの。中華街では祝賀パレードがあり、獅子、龍舞、民族舞踊などが華やかに練り歩く。見に行く予定はしていたが、昨日から腰を痛めているので、腰に強力なコルセットを巻いて出かける。踏みしめる一歩一歩が痛い。でも動かない方が良くない気がして気合いで歩く。なるべく歩く距離を短くするため、石川町の中華街口で下車し、パレードは待って見ることにした。中華街大通り入口に着くと大きな爆竹の音して、ちょうどパレードが始まった。先頭はお馴染みの獅子舞で、国旗隊、ミス雙十節と続く。そのあとは踊りを中心としたチームがいくつか通り過ぎていった。なぜか山形花笠まつりが来ていて、ミス花笠を先頭にご婦人方が踊っていた。参加は全部で28チーム、最後の獅子舞がやってきて、あっという間にミニパレードは終わった。これはこの1回限りで、夕方からは祝賀の獅子舞が行われる。多少時間が空いたので、山下公園でしばし休息、薔薇とカモメを見て再度中華街へ戻る。少し長めに休んだので、戻った時にもう獅子舞は始まっていて、あちこちで激しい爆竹の音がしていた。この獅子舞、1件ずつお店の中に入って踊り、祝儀を貰っていく。祝儀は入口や天井の高いところに吊るしてあり、獅子舞はこれをジャンプして取っていく。時に非常に高いところに祝儀が置いてあり、取るのが難儀な店がある。こういう時こそ獅子舞の見せ所で、肩の上にもうひとりが立ってそれを取りに行く。まるで中国雑技団だ。あまり長くいるのが辛くなったので、このあたりで帰ることにした。お土産に雅秀殿の豚まんと紫禁城の天津甘栗を買う。これが今夜の夕食という訳だ。しかしこんな体調じゃ、来週からの祭り三昧が危ぶまれるなぁ。

2003年10月9日    祭りは寝て待て
CATV局の工事担当がやってきて、写らなくなったテレビの屋内配線を直していった。これでようやくテレビは復活したが、主だったところだけの工事だったので、後の作業はまた自分でやる事になる。ケーブルと端子を交換し、ついでに電源ソケットを締め直す。ソケットは床に近いところにあるので、腰を曲げてかなり無理な姿勢で作業を進める。これがいけなかった。作業が終わった時はそうでもなかったが、しばらくして腰が立たなくなってきた。腰はもちろん痛い、しかしそれ以上に坐骨神経にきている。元々腰痛持ちで一度手術し、それが災いして坐骨神経痛が発生、症状固定で不治の病となっている。そこをさらに痛めたようで、咳をするだけでガンガン痛みが響いてくる。外出する用があるのをキャンセルして、今日はおとなしく横になっている事にした。片頭痛のほうも相変わらずで感覚が麻痺、もう頭が痛いのか痛くないのかよくわからなくなってきた。元来じっとしているのはあまり好きではない。散歩でもいいから外へ出たいところだが、ここで無理をすると来週からのお祭り週間に支障をきたす。じっと我慢の一日、家宝は寝て待て。そんな時、覚えのない会社から一通の手紙が来る。中をあけるとなにやら説明書きがあり、ご当選おめでとうございますとある。お米券が当たったらしい。どこかの旅先かイベント会場で書いたアンケートの商品のようだ。米が不作で値段が高騰している今、こういう実用的な景品は非常にありがたい。さっそく青い鳥が運を運んできたんだろうか。この調子で腰も頭も良くなってくれればいいのだが。このまま直らなければ明日は病院行き、万が一検査結果が悪ければ・・・、なんて事は考えたくないが、最近何かと弱気な自分。          

2003年10月8日    市民サービス
ようやく保険証が手元に届く。これでまた病院に通えるわけで一安心、歯医者の予約の確認をする。しかし国民年金の件は、市役所からまだ何の連絡はない。行ったのは先週金曜日で、即日確認のうえ電話連絡という事になっていたのだが、あまりにも遅いので確認の電話をしてみた。電話をしたのは市役所でなく税務署。納税の確認ができないと年金担当が言っていたので、それを確認するためだ。こちらは3月に税務関係の書類は提出している。税務署にその旨と経緯を説明して、この件について調べてもらう。一度電話を切って、折り返しの電話を待つ。しばらくして電話があったのは市役所の担当者からで、税務署から指摘を受けてかけてきたようだ。話によると、やはり税務署には書類があり、6月に受理されていたとの事。なぜ3月に出したものが6月に処理されているのかはわからないが、これで市役所が当初言っていた事が間違いである事がわかった。つまり今回の件は税務署の怠慢でなく、市役所の怠慢であるという事だ。にもかかわらずこの担当者、事情を報告するだけで誤りはしない。これは自分のせいじゃないという感じで、延々と言い訳をする。あまり愉快な話じゃないんで、ハイハイと言って適当なところで電話を切った。それにしてもいいかげんな情報管理といい、誠意のない対応といい、公務員は一体何をやっているんだろう。さすがに今日はあきれたが、もし民間でこんな事があったら大問題だ。30台の市長もいいけれど、横浜市はもう少し役所の業務を改善してもらいたいものだ。ちなみに今年の横浜市の基本政策は、「市民サービスを向上させるための制度や仕組みを整備する」ことらしい。さすが日本一の政令指定都市だ。

2003年10月7日    幸せの青い鳥
いつものように川崎の街を散策。先日リニューアルオープンしたばかりのラ・チッタ・デッラの前を歩いていると、目の前に一羽の鳥が降りてきた。ちょうど足元で止まったので手を差し伸べると、その鳥は躊躇することなく手の上に乗ってきた。コイツはセキセイインコで色は青、体長は20cmくらいある。なぜここにいるのか、なぜ自分の所に降りて来たのかよくわからないまま、しばらく手の上にインコを乗せたまま歩く。周りの人が全員注目、わー手乗り文鳥だなんて言っている。手乗り文鳥じゃない、インコなのだ。いや、そんな事はどうでもいい。今はコイツをどうするかが問題だ。そうこうするうちに、インコは突然肩に乗ってきた。慌てて捕まえようと手を伸ばしても届かず、そのままインコは肩や背中をグルグル回り始めた。う〜ん、面白いような恥ずかしいような、周りの視線を気にしながらなんとか手の上に戻す。よく見るとこのインコ、なかなかかわいい顔をしている。鳥なんて飼った事がないので、こんなに間近に見るのは初めてで、もちろん手の上に乗せた事もない。それ以上に人に慣れているのには驚きで、こちらの動きにも全く動じない。このインコ、最初は野生かと思った。実は都内にセキセイインコが大量発生している所がある。目黒区周辺がそうで、東京の高温多湿な環境が熱帯の環境に近いらしい。そこから飛んできたのものと思っていた。しかししばらく遊んでるうちに、どうも慣れ方が半端でなく、人に遊ばれているような癖もある。どこからか逃げてきたのか、あるいは場所がら放し飼いなのか、どちらにしてもかなり人馴れした鳥だ。ひととおり遊んだあとで、インコは思い立ったように手から飛び立っていった。このところ鳶に弁当をさらわれたり、カモメに頭に乗られたり、鳥にはさんざんな目に会っているが、今日のような微笑ましい出来事には遭遇したのは初めて。いったいあの鳥は何だったんだろう。天からの使い? 幸せの青い鳥? まさかね。

2003年10月6日    CATVなんていらない
住んでるマンションにCATVが導入された。各世帯強制加入ではないが、今使っている共同アンテナからの電波は受けられなくなった。表向きは大家の意向という事ではあるが、本当のところはCATV会社の意向。普通CATVが導入されるのは歓迎すべき事。しかし当初から自分は反対で、大家にも意向は知らせていた。なぜかというと、それは今テレビの受信状態が非常にいい事と、導入費用が高い事にある。もうひとつ、CATVは映像を圧縮して再送信しているので、共同アンテナより画質が落ちる。実はこれを一番恐れていた。今までもテレビが写らなくなった事が何度かある。業者が来て部屋の端末を調べると、全部屋の中で自分の所が一番悪い状態だった。おそらくまたそんな事があるのだろうと、内心覚悟はしていた。工事が終わり、恐る恐るテレビをつける。ガーン!そこにはゴーストだらけの、今まで見た事のないような映像が出ていた。急いで業者に電話をかけ、状況を話す。しばらくして業者と営業担当が来て、部屋の中をチェックする。どうやらこの部屋は浮遊電波を拾いやすく、しかも周囲から非常に強い電磁波ノイズのが出ているらしい。よってCATVではありえないゴーストやノイズが出るとの事。端子と配線を全部シールドタイプのものに変更し、再度チェック。少しは改善されているが、やはり小型のテレビは相変わらずの状態。元のブースターのレベルを少し上げてもらい、何とか見られる映像になった。とりあえずその日はこれで終わる。翌日、完全ノイズ対策を行うために、専用の完全シールド分配器を買ってきた。業者の置いていったシールドケーブルに、コネクタを加工して専用ケーブルを作る。これを分配器につなぎ、テレビとビデオに分ける。本当は室内ブースターを入れてそこから分ければいいのだが、それをやると浮遊電波を拾いくゴーストが出るのでNG。分配器も2分配以上にすると電波が減衰するのでこれが限界。作業を終え、テレビの電源を入れてみる。ようやく安定した画面になったようで、ホッと一息。しかし工事前の状態まではまだまだで、業者に連絡を入れているが返事はなし。余計な工事のおかげでテレビの写りは悪くなるし、無駄な費用と労力はかかるし、全く酷い話だ。

2003年10月4日    かわさき阿波踊り
またこの季節がやって来た。かわさき阿波踊り、秋に行われる貴重な阿波踊り大会だ。今年は参加連が少なく、13連の出場に留まったが、これはウォーターフロントまつりと日程がかぶってているからだろうか。あちらは30連以上の参加があるらしい。しかしこのかわさき阿波踊り、川崎駅中心の銀柳街、銀座街という大きな商店街を中心に行われるので、人出は多くかなり盛り上がる。通路も広いし、通り全部に開閉型の屋根が付いているため、雨天でも中止になる事がないのがありがたい。今日の開始時間は午後4時で、ほぼ時間通りに始まった。第一演舞場、第二演舞場と次々踊りが開始され、ステージ前へ急ぐ。しかしそこは黒山の人だかりで、とてもちゃんと見られる状態じゃなかった。そのままいてもしょうがないので、演舞場で見るのを諦めて商店街の方へ移動する。ちょうど最初の連がスタートするところだったので、こちらはかなり楽に見られた。しばらくして川崎BE連が踊りを開始、鐘と太鼓がなり始める。おおっ、いきなり音が凄い。他の連と比べて、音の大きさもリズムの正確さも貫禄も全然違う。よく見るとここの鳴り物は葵連である事に気づく。阿波踊りをする人でこの名前を知らない人はいないと思うが、全国に8つの姉妹連を持つ有名連だ。今日来ているのはおそらく埼玉方面か? そういえば去年もある有名連の人たちが、他の連にも潜りこんで踊っていた。この人たちは、やっぱり秋になっても阿波踊りなんだろう。商店街を一周し、再びスタート地点に戻ると、くすのき連がスタンバイしていた。そう、今日の狙いはここ、これを見ないと来た意味がないのだ。高円寺では昨年都知事賞(優勝)、今年都議会議長賞と連協会を差し置いて受賞で、実力はかなりのものだ。今年は徳島に某連として参加、現地を驚嘆せたなんて逸話もある。くすのき連の踊りが始まった。速くてダイナミックな踊り、これがここの特徴。阿呆連系の踊りではあるが、ヤッコ踊りを得意とし、独自の「鳴門」という片足で回転する凄い技を持つ。突然周囲に人垣ができ、拍手喝采、やんややんやの大騒ぎでもの凄い人気となる。相変わらずの揃った列と大きな動きは健在で、見る人の目を釘付けにする。踊りが終わってもしばらく拍手はやまず、その人気と実力を再認識した。この人たち、今日は協働フェスティバル、ウォーターフロントまつり、かわさき阿波踊りと3つかけもちで出ている。昨年は50以上のイベントに出ていて、あちこちから引っ張りだこ、とにかくタフだ。これで全員大田区役所の職員なんていうんだから、ちょっと信じがたい。その調子で仕事も頑張れよ〜。

2003年10月2日    新テレアサ誕生祭
久しぶりに会社に顔を出した。保険や年金、雇用関係の手続きをするためだ。仕事の引継ぎも完全ではないので後任とも少し話をして、帰る間際にデスク周辺を片付け会社を後にする。今日はせっかく麻布十番まで出てきたので、六本木ヒルズに寄ってみる事にした。会社から近いと意外に足を運ばないもので、ここに来たのはオープン以来、実に5ヵ月ぶりだった。昨日ここにテレビ朝日が引っ越してきて、「新テレアサ誕生祭」というイベントをやっていた。テレビ番組ごとの小さなブースがいくつもあって、それぞれのブースに写真の展示や解説がしてある。ニュースステーションのスタジオコーナーでは、ブルーバックのキャスター席で記念写真が写せるようになっていた。傑作なのはマシューズBest Hit TVで、コーナー全てがティールームで、オリジナルのケーキや飲み物がオーダーできる。マシューの絵が大きく描かれた壁があり、エントランスの大部分はそれで占められていた。誰か有名人でもいないかとキョロキョロしたが、残念ながら今日は誰にも会う事はなかった。テレビ朝日を後にして、本館である森タワーに向かう。ここも平日とはいえ人が多く、修学旅行やツアー客が多数いて、あちこちでお国なまりが飛び交っていた。今、東京のトレンドスポットはやはり六本木ヒルズなのだろう。迷路のような施設を一周し、近隣施設でしばし休息する。そろそろ帰ろうかと思ったが、帰路の途中には品川があるので、これもついでに見ていく事にした。新幹線駅開業で賑わうこの駅、改札を抜けあっと驚いた。そこはもう昔とは別の世界で、巨大なターミナルと化していた。特に新幹線側の変わり方はすざましく、品川インターシティは激しく進化を遂げていた。高層ビルと広い敷地、日本のトップ企業がズラリと顔を並べるそこは、もう既に副都心だった。新宿、汐留、六本木、いろんな新しい街ができた。しかしここはもうそれらを凌ぐ、東京を代表する街になっていた。恐るべし東京、あっという間にこんな街を作ってしまうその底力には、不景気の微塵すら感じさせない。

2003年10月1日    踊る大走査線 in TOHOシネマズ
毎月1日は映画の日、どこの映画館に行っても全ての映画が1000円で見られる。今までこういう機会を利用した事がなかったので、時間のある今のうちにさっそく行ってきた。行き先はTOHOシネマズ川崎、つい先日オープンしたばかりのシネコンだ。このところあまり見たい洋画はなかったので、一応話題に遅れないように「踊る大走査線 THE MOVIE 2」を見る事にした。このTOHOシネマズ川崎、関東ではあの六本木ヒルズに次ぐ東宝系2番目のシネコンで、全部で9のシアターがある。川崎には既に老舗シネコンのチネチッタがあり、こちらは14シアター、それぞれの定員もこちらが多い。なのになぜTOHOかというと、それぞれの設備を比較してみたかったからだ。場所は川崎DICEの7〜9階で、京急駅前から歩いて1分、アクセスは良い。エレベーターに乗って一気に7階まで上がり、さっそくチケットを購入、しばし待たされて入場受付が始まった。1スクリーンが今日の上映場所で、定員は138名と少し小さめ。ただ中は思ったよりも広く、通路が左右に取られていて入退場がしやすくなっていた。シートの柔らかさも程よい感じで、長時間座っても疲れない感じ。しばらくして場内が暗くなり、上映が始まった。いきなりお台場の全景が上空から映し出される。そして事件発生、この辺はいつものフジらしい演出で、派手な音楽と動きで見る側を引き付ける。さっそく主演の織田裕二も登場、ちょっとテレビドラマのような進行だが、この話は元々テレビドラマ。当たり前といえば当たり前。お約束のお台場饅頭とかスリーアミーゴーズなんかが出てきて、適当に笑いを取っていく。よく見ていると、随所にフジのキャラクターものも登場してくる。とにかく話は終始フジテレビを中心としたお台場のロケーションで進行し、まるで局の宣伝のようにも思えた。事件は会議室で起こっているんじゃない、フジテレビで起こっているのだ(笑)。お得意の展開とエンディング、少し長めの2時間18分という作品だったが、なかなか面白かった。ひとつ気になったのは、隣の席の人が終始大声でしゃべり続け、周りの顰蹙を買っていた事。話の随所でいちいち突っ込みを入れ続け、大声で笑う、おそらくこの人は映画館で映画を見た事がなかったのだろう。参った。でも1000円で見れたからまあいいとするか。


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