悪戦苦闘日記


2004年10月31日    DREAM夜さ来い
お台場で行われるよさこいイベント、DREAM夜さ来い。開催は土日の2日間で、広いお台場全6会場を使って行われる。気になるのは天気で、このところ週末のよさこいは雨というのがお決まりパターン。初日の土曜日、朝起きると外は雨。やはりジンクスは破れず、益々降り続ける雨に出かけるのを断念した。そして翌日、早朝まで降っていた雨がやんで、曇天ながら久しぶりのお出かけ日和!?となった。大井町の駅でりんかい線・ゆりかもめ・水上バスの共通一日券「お台場・有明ぐるりきっぷ」を購入し、まずはお台場メイン会場を目指す。シンボルプロムナードの一番端がステージ、フジテレビ方面が流しというスタイルは昨年同様で、会場に着いた時にはすでにプレイベントが始まっていた。天気がよくなるにつれ気温も湿度も上がり、午後にはシャツ1枚でも汗が出るような蒸し暑い状態となる。着てきたジャンパーを腰に巻き、長袖のダンガリーシャツの袖を捲り上げて、撮影の準備を始めたら最初の流しが始まった。このシンボルプロムナードというところは巨大な陸橋になっていて、駅やホテル等それぞれの施設に繋がっている。もちろん構造が陸橋であるゆえ、たくさんの踊り子が同時に跳ねると地面が揺れる。2組目のチームが踊り始めると、地震が来たような揺れが始まり、周囲が一瞬どよめいた。パレットタウン、石と光の広場へ足を運んでみると、こちらは観客が少なく、演舞の途中でもセンターで堂々と写真を撮る事ができた。観客より踊り子の方が多い不思議な会場、見ている方が逆に緊張したりする(笑)。メイン会場もまったりと進行し、流しの列のすぐ後ろを買い物客が通ったりする日常的風景。賞はなく、自由エントリーでもないこのイベント、まったりしてて好きなのだが、チームや踊り子には不満が残るかも!?

2004年10月30日    かわさき市民祭り
文化と食の祭典、かわさき市民祭り。毎年様々なイベントが行われるこの祭り、今年は日程が変わり、初めて10月の開催となった。おかげでお台場のイベント、ドリームよさこいと土日とも重なって、行けるのはそれぞれ1日だけ。しかし、かわさき市民祭りは3日間開催で、初日に行けばドリームよさこいは2日間とも見られる。というわけで、野暮用ついでにさっそく出かけた富士見公園。初日の午前中という事で人もまばらかと思っていたら、凄い人出で物産のブースはどこも人だかり、会場内は商品を見るのも困難な状況だった。いるのは老人ばかりで、買っているのは生鮮野菜。ここは地元の農家も店を出しているので、近所のスーパーより安い値段で野菜や果物を入手できる。もちろん全国の物産もあるので、老人とおばちゃんが競うように試食に群がっていた。さすがにこの列に入るわけにはいかないので、まずは広い会場内をゆっくり一周する事にした。競輪場と球場、第二球場と駐車場を全て使って行うイベントなので、それぞれの店を見ながら一周するには1時間以上かかる。ここは200円〜300円の汁物やラーメン、揚物等が各地で売っているので、見ているだけでも腹が減ってくる。毎年お馴染みのミニラーメンにも長蛇の列ができていて、買うのも一筋縄には行かない様子。いつも食べていたラーメン、350円に値上がりしてからはお得感がなくなり、並ぶのもかったるかったので今回はパス。代わりに肉屋のコーナーで、フライドチキン4つ(大)を200円で購入。これは大きくて食べがいがあり、味も良かった。何故かお茶屋さんの出店が増えていて、都合試飲6回、もうお腹一杯の楽しいひと時であった。

2004年10月28日    Yahoo! JAPANに登録!
昨夜まったりとネットサーフィンをしていたら、突然ヤフーからメールが来た。ヤフーからメールなんて何だろうと思って見てみると、「貴サイトをYahoo! JAPANに掲載させていただきました」とある。マジっすか!? 今や個人サイトの掲載は不可能とも言われているヤフー、そこにこの「広告業界渡り鳥」が掲載されるというのは、驚きというか快挙である。考えてみれば検索エンジンには今まで相当泣かされていて、比較的簡単に登録できるグーグルにさえ拾って貰えない時期もあった。それがやっと載ったと思ったら、今度は巡回ロボットのエラーですぐに削除されてしまう。一発太郎なるサイトでまとめて登録を入れた事もあったが、その時もヤフーとMSNには拾って貰えず、載ったはずのグーも数日で削除。それぞれエンジンが異なるとはいえ、どこにも拾って貰わないとサイトを運営していく意味がないのだ。一時期ヤフーはロボット検索表示にグーグルのエンジンを使っていた時期があり、その時はグーグルにさえ載っていればヤフーでも検索は上がっていた。なので自分のサイトもこの状態でいいと思っていたら、ある日突然独自エンジンにチェンジ。そこで「広告業界渡り鳥」と入れても自分のサイトは一切引きあがらず、出てくるのは洒落で作った裏ページと他人のリンクばかり。これじゃ意味がないのでサイトの構造を少々修正し、ヤフーのサイト推薦に入れておいた。で、忘れた頃にやって来たのが今回のメール。さっそく検索を入れてみると、「広告業界渡り鳥」は一発で上がった。ディレクトリが祭りなので「よさこい」と入れて、一番上に出てきたカテゴリ「よさこい祭り」を押すと、なんと自分のサイトが一番上に出てきた。しかも本家・高知よさこい祭りやYOSAKOIソーラン祭り等、全国の大きな祭りを押しのけての掲載、これは凄いぞっ! 日々の更新がやっと報われた検索エンジン登録、ちなみに今日のアクセスは普段と殆ど変わっていない(笑)。

2004年10月26日    西武優勝セール
プロ野球西武ライオンズの日本シリーズ優勝を記念し、西武・西友の各店では「ご声援感謝セール」が始まった。衣料品、家電、食品等が通常価格の10%〜30%という事もあり、各地の店で開店前から行列ができ、開店と同時に人がなだれ込んで行く。以前は近くに西武百貨店があったので、この恩恵にあずかっていた。しかし一昨年その店が不採算で閉店となり、あとにできたのがヨドバシカメラ。地下にあった西友も同時に退去したため、該当するのは近所にある小さな食料専門の西友だけとなった。セールはやっていても食料品だけ、でも何があるのか気になるので、出かけるついでにちょっと寄ってみた。小雨の降る中、傘をさしてとぼとぼ店まで歩く。店内に入ると「ご声援感謝セール」のポスターとポップがあちこちに貼ってあり、若かりし頃の松崎しげるが歌うライオンズ応援歌がそこここに響き渡っていた。さぞかし賑わっているのかと思っていたら、拍子抜けするくらい人出は少なく、店内は閑散としてむしろ買い物しやすかった。何か目玉商品がないかと店内をグルグル回るが、そこは悲しき食品専門店、ジュースやカップヌードルが100円とか、人参1本30円とか、元々単価の低い商品ばかりでわざわざ来るほどの事はない。キャベツ1玉が特売で398円!?、近所の八百屋では250円で売っているところもあるのに、これのどこがバーゲン価格なんだろう。あとの商品もいつもと変わらぬ平常価格で、骨折り損のくたびれ儲け。そもそもこの西友というスーパー、今はウォルマート傘下で西武セゾングループとは何の関係もない。以前からやっている「お祭り」に便乗しているだけなので、大きな期待はできないのだ。なのでその祭りに乗せられたら負け。それよりもパ・リーグ2位のチームが何で日本一なのか、その矛盾に苦しむ今日この頃。

2004年10月24日    レタス1000円松茸500円
台風が去ってやれやれと思ったていら、今度はその影響で野菜が高騰。通常ならせいぜい5割増程度の値段になるものが、今回はなんと3倍〜5倍、物によっては10倍なんていうとんでもない値段がついている。帰省戻りで食べ物がなく、近所の八百屋やスーパーに買い出しに行ってビックリ、キャベツやレタスが小玉1個500円もするのだ。いくら物がないからといってこの値段は酷すぎ、仕入れ価格ですでに高値がついてるらしく、これは農家や組合、あるいは間に入った商社等が必要以上に価格を吊り上げているとしか思えない。農家の損害はわかるがそれを消費者に転嫁する、やっぱり一番痛手を受けるのは我々庶民なのだ。収穫に関係ない輸入野菜まで高騰して、小さなブロッコリー1つが200円なんていう通常の倍の価格になっている。これはあきらかに便乗値上げ。あまりにも高すぎて野菜が買えないので、もやしだけでも買って帰ろうと売場に行くと、商品は1つも残っていなかった。みんな考える事は同じで、安い野菜の代表、もやしに殺到したらしい。八百屋に行っても状況は同じでもやしは売り切れ、残っているのは通常価格の3倍位する野菜と、いつも安売りのバナナくらいしかなかった。レタス1玉1000円、外国産松茸1パック500円、松茸よりレタスの方が高い不思議な現象が起きている。このまましばらく野菜の高騰が続くと、ひょっとしてこの秋は松茸三昧なのかも!?

2004年10月21日    台風23号直撃!
新居浜太鼓祭りが無事終わり、それを待っていたかのように夜から雨が降り始める。そして翌日は朝からの雨、恐れていた台風23号が北上を始めた。終日雨は降り続け、20日になってさらにそれは強くなる。大型の台風であるため暴風域が広く、夜が明けるとともに風雨は益々強くなり、激しく雨が降り続ける。新居浜の街は、今年何度も台風に襲来され、地区によっては壊滅的な被害を受けているところもある。そこにまたこの雨、交通は完全に遮断され、横浜に戻る事もままならない状態となった。台風は勢力を増して四国を目指し、お昼頃にはとうとう足摺岬に上陸、そのまま北上しまたもや新居浜の街を直撃。激しい風雨、実家前の川は氾濫寸前でもの凄い勢いで流れていく。道路は川と化し、田畑は湖となって、外には一歩も出られない状態。2階の窓から近所の様子を伺うも、叩きつける雨で硝子がちゃんと透けて見えない。ドタドタという何かが飛んでいく様な音、鳴り続けるダムの放流警報、時おり聞こえる救急車のサイレン・・・。そして数時間後、ようやく雨も小康状態となり、家の外に出てみる。実家の周辺はかろうじて被害を免れ、道路も車が走れる状態。しかしニュースを見てみると、各地で土砂崩れや川の氾濫、床上・床下浸水があり、どうやら市内全部が大丈夫だったわけじゃなかった。台風一過の翌日、JR予讃線は全面ストップでまたしても足止め、時間ができたので市内を自転車で回ってみた。橋が流れ、車が流され、土砂が崩れて通行止め、市内随所に台風の大きな爪跡が残っていた。災害復興のためにあえて強行した新居浜太鼓祭りも、天の力にはなすすべがなかった。一日も早い復興を願いたい我が故郷、新居浜市。

2004年10月18日    新居浜太鼓祭り〜緊迫の最終日〜
あっという間に最終日、祭りもいよいよクライマックスへとさしかかる。行きたいところは色々あるが、今年は川東の多くが欠場、上部も前日の喧嘩で参加台数が減り、川西一本に絞って見る事にした。朝8時半に家を出て、向かうは大江浜のかきくらべ。自転車を近くのスーパーに停めて会場まで歩いて行くと、ちょうど最初の大江太鼓台が入場するところだった。恵比寿神社に参拝し、神殿前で差し上げを行う大江、金糸が眩しく光り、青空に紙吹雪が舞う。ここでのかきくらべが終わり、10台の太鼓台は揃って次の会場へ向かう。2年に一度の舟御幸、大きな2艘の台船が港に横付けされ、太鼓台は東西5台づつに分かれて次々と乗船する。タグボートに引かれて港を出て行く台船、海の上の浮かぶ太鼓台は、大漁旗を付けた船に見守られてどんどん沖へと進んで行く。まるで時代絵巻を見るようなこの風景は、祭りの激しさを忘れさせるひととき。中須賀海岸に到着した太鼓台は何度か差し上げを行った後、何事もなくそれぞれの櫓へ帰って行った。そして午後、このまま何事もなく終わるわけがない川西地区、一宮神社周辺はそれを期待している観客で溢れていた。午後2時からの宮入りが3時を過ぎ、ようやく動き出した太鼓台、周りはにわかに殺気立って機動隊も動き出す。今年は西方からの入場で、まずは西原が一宮の門を越えていく。中須賀、西町、江口、庄内、続いて新田、久保田、東方の新須賀、東町、大江と入場。新須賀が神殿前に差し掛かった時、大きなざわめきが起こり、それは始まった。西原が新須賀に向かって大きく前進、後方では大江と西町が睨み合う。中須賀も戦闘態勢に入り、東町は様子を伺う。西方と東方の小競り合いが始まったと思ったら、突然の雨がそれに水をさす。そのまま睨み合いは続いて、闇に包まれて行く境内。一部の太鼓台が退場し始めたので、それに続いて一宮神社を後にした。(続く)

2004年10月17日    新居浜太鼓祭り〜怒涛の2日目〜
3日間の祭りで一番しんどいのがこの2日目。海から山、そして再び浜へと戻ってくる強行スケジュール。足はもちろん自転車、しかも変速機のない普通のママチャリ。朝は7時前の町内放送に叩き起こされ、まずは徒歩で近所の自治会館前へ集合。川西地区10台の太鼓台を見送ったあと、今度は自転車に乗り換え、川東西部地区のかきくらべを見るため河川敷公園へと移動する。この地区の太鼓台は全部で7台、今年は1台欠場のため6台でのかきくらべ、と思っていたところに突然松神子、下郷の2台が登場、地区を越えて初の8台競演となった。青空に潮風が心地よいこの河川敷会場、しかし台数が増えたため終了時間が1時間オーバーし、慌てて次の会場である山根公園に移動を開始する。海の見える会場から山へ麓の会場への移動は、距離もけっこうあるがその道のりはずっと上り坂。正直変速機のない自転車で走破するのは無理がある。それを承知で走る・走る・走る・・・、汗だくで山根公園に着いたら一番最後の喜光地が入場するところだった。自転車を適当な所に置いて、会場に入る太鼓台の後ろにくっつき何とか公園内に入場する。場内は例年以上の人出で黒山の人だかり、毎年5万人と発表されるその数は、今年に限ってはその倍ぐらいいるように見える。参加太鼓台は18台、中萩6台の寄せ太鼓をはじめ、ターン、放り投げ、持久戦とあらゆる技を繰り出す上部地区の太鼓台。広い会場にせり上がった観覧席、観客からは大きな歓声があがる。川西とは全く異なる趣向の上部の統一かきくらべ、これはここに来た人しかわからない感動がある。次の会場へ移動のため、少し早めにここを切り上げ、今度は工場前まで一気に自転車を走らす。時間にルーズな川西地区、おかげでかきくらべにはギリギリ間にあい、今度は気合と根性と意地の太鼓台を堪能する事となる(笑)。

2004年10月16日    新居浜太鼓祭り〜まったり初日〜
金木犀の香りがし始めるといよいよ祭りのシーズン、新居浜太鼓祭りは災害にもめげず、今年も無事開催となった。前日から新居浜入りし、16日早朝の宗像神社氏参りから祭りは始まった。庄内太鼓台の参拝を見届けた後、速攻で実家へ戻り自転車へ乗り換え、川東の八旗神社へ向けてペダルをこぐ。そう、今年の足はこの自転車だけが頼り、とにかく体力の限りを尽くして走り続けるのだ。川東地区は先日の台風で大きな被害を受けた地域で、今回多くの太鼓台が祭り参加を断念し、8台中6台が欠場となった。西部地区は最小限の被害に留まり、出場停止の1台を除く6台が統一氏参りとして八旗神社に集結した。今年は初日が土曜日となったため人出が倍増し、現地に着いた時にはすでに場内は人で溢れていた。神事が終わり、3台がお馴染み!?子供専用ワゴンを付けて、それぞれの校区の小学校へと帰っていく。他の地区ではまずありえない、不思議な光景を見送りながら、実家近くの小学校へ立ち寄り、一旦休憩のため実家へ戻る。新居浜太鼓祭りの開催期間は3日間、しかし初日は御花(祝儀)貰いのため地区内周辺を練り歩くだけで、統一行動は夜だけ。これも各地区で分かれて行われるので、地区内全ての太鼓台が顔を合わせることはない。実家は川西地区なので、メインの行事はフジグランと昭和通り・イオンで行われる夜太鼓のみ。これも東方3台と西方等7台が別々の行動を取っているので、自転車でそれぞれの会場を行き来し、最後にイオンショッピングセンターへ移動。ライトアップされて金色に輝く7台の太鼓台、観客は昨年の倍以上に膨れ上がり、熱く激しい男祭りが始まった。

2004年10月14日    牛丼復活祭
このところ街中から消えていたジャンクフードの王者、牛丼。各社やりくりをし、神戸らんぷ亭、すき家と次々に販売を再開させている。そして昨日、とうとう松屋が重い腰を上げた。松屋の場合は牛丼といわず牛めしと呼んでいて、他店よりいくらか値段が高い分味噌汁が付いている。今回のこの牛めしは、中国産、オーストラリア産、国産牛肉のブレンドで、見た目は少々盛りが小さめ。値段は前回より100円高い390円(並)で、すき家やらんぷ亭より40円高い。これは他店より肉の調達に苦労しているという事だろうか。さっそく食べてみたところ(笑)、今度の牛めしは牛丼というよりすき焼き丼という感じの味だった。通常牛丼は寸胴鍋に大量に煮込まれた牛肉があり、それをそのまま丼に乗せて出すのだが、松屋の場合は別に煮込んだ牛があり、注文が入るとその肉をタレに漬けこんで出している。つまりその場ではあまり煮込まれてない肉。少しタレが甘めなのは、豚丼用のものを流用しているからだと思われ、昔の牛めしと比べるとあきらかに味は落ちる。らんぷ亭と比べても味の差は歴然としており、この辺はもう少し努力して欲しいところ。他店との価格差40円も納得のいかないところで、この内容なら以前同様の10円差、もしくは同額以下(350円)にしないと、もう一度食べに行く気にはならない。輸入牛肉の折衝が大詰めを迎える中、残った吉野家の動向だけが唯一気になるところである。

2004年10月11日    川崎みなと祭り&ちくさんフードフェア
三連休最終日、ようやく朝に雨はやみ、曇天ながら出かけられる体制となった。今日の行き先は川崎みなと祭り、これは川崎マリエンを中心とした一大イベントで、アジアンフードバザール、ステージ、コンサート、動物広場、マリンシャトルのクルーズ等が企画されてる。隣接する食肉流通センターでもちくさんフードフェアが行われ、こちらもステージ、試食会、バザー、食品の特価販売等、様々なイベントが行われている。祭りの主目的はむしろこちらで、目玉企画である牛肉ステーキ&牛モツ煮込鍋の試食(無料)は大人気、例年これを目指してたくさんの人が来る。川崎マリエンは東扇島にある市民のコニュニティ施設で、交通手段は車のみ、対岸から長い海底トンネルを抜けて行く、ちょっと不思議な海のシンボル。普段は交通量も少なく人もまばらで、穴場といっていいところ。しかしこの日は違っていた。トンネルを抜けるとそこは大渋滞、どこからこれだけの人が来たんだろうと思うくらい、人と車で溢れていた。会場付近に駐車場はなく、海岸沿いの操作場が駐車場代わり、そこから会場まではシャトルバスが出ていた。しかし人が多くてバスには乗れず、やむなく徒歩で場内に移動した。目指すは牛肉の試食会、入口を抜け人波をかきわけたどり着くと、そこはかつてないくらいの長蛇の列になっていた。ステーキを諦め、牛モツの煮込み鍋の方に行ってみると、こちらはすでに終了で次の時間が書いてたった。しょうがないので、バザーで売っている10本100円(安い!)の荒挽きソーセージを買って空腹を凌ぎ、みなと祭り会場を1周して帰ってきた。煮込み鍋コーナーで都合3杯のモツ鍋を頂き(超旨い!)、列が解消されはじめたステーキコーナーへと並んで、ようやくステーキにありつけたのだった。

2004年10月10日    雨のえびな“彩”Festa
観測史上最強といわれた台風22号が去り、久々の日本晴れかと思われた日曜日。しかし朝起きると不気味な雲が空一面に広がっていた。天気予報は曇り時々晴れ、通常台風一過は晴れと決まっているので、雨具を持たずに外出した。目的地は海老名、「えびな“彩”Festa」というよさこいコンテストがあり、それを見に行くのだ。実はこの海老名というところ、今迄一度も行った事がない。電車に乗り、横浜駅で滅多に乗らない相鉄線に乗り換え、急行で終点まで行く。駅前に出て驚愕、そこには巨大ショッピングモールが広がっていて、たくさんの人が行き来していた。ビナウォークと名付けられたこの街は、デパート、映画館、飲食店、ショップ等が一同に集まった県内最大規模の商業施設だった。この周辺が今日の会場で、隣接するバスターミナルがメイン会場となっていた。しかし悪い事に、駅を降りた頃からポツリポツリと雨が降り出し、ステージが始まる頃にはそれが小雨となってきた。さらに雨足は速くなり、始まったばかりのメイン会場をわずか3チームだけ見て逃げ出す。隣の中央公園会場に移動し、わずかにある屋根の下で様子を伺いながら雨をやり過ごす。その後雨は霧雨に変わり、小休止となったところでお馴染みのチームが登場、ようやくカメラを持ってステージ前へと行く。いつものごとく入り込む余地がない、というよりも雨の日は傘が邪魔で写真を撮るのは至難の業。ステージ正面を諦め、一番端の終了地点にいる警備員の肩越しで、カメラを持ち上げディスプレイを見ながらシャッターを切る。デジカメならではの技ではあるが、毎度毎度のこの雨で、ほとほと疲れたよさカメ行脚。夕方に向かってなおも雨は降り続け、表彰式が始まる頃には雨具なしではいられない本降り状態となった。訳あって最後まで付き合ったこのイベント、そういう意味では水もしたたるいい男。

2004年10月9日    驚異の低価格メモリ
デジタルカメラはフイルムレス、ランニングコストが安いと思われがちだが、意外と周辺機器にお金がかかる。その中でも高いのはメモリで、大容量のものだとカメラ本体よりも高いものがある。カメラを買い換えるとスペックが上がり、必然的にメモリデータが大きくなる。同じ枚数を撮るにはメモリを大きくする必要があり、128MB→256MB→512MBとどんどん大きなメモリカードを積む事となる。様々な規格が乱立するメモリカード、その中で汎用メモリとして台頭してきたのがSDメモリカード。デジタルカメラをはじめ携帯電話やMP3プレーヤー等、多くの電子機器に使用され、そのシェアは3割を超える。今や一眼レフにも採用されるようになったこのカード、気軽に買えない理由はやはり価格の高さ。少しでも安く買うために専門サイトで情報を収集し、何度も秋葉原に足を運んで裏路地の店を訪ねた。一般の電気店は正規のメーカー品しか置かないため、秋葉原との価格差は倍以上、よって電車代がかかってもここに来る方が断然安いのだ。この夏に買ったメモリは256MBのもので、一般相場は約1万円、秋葉原で5980円のものを発見した。今回は512MBが必要で、久しぶりに市場価格を調べてみた。一般相場は約15000円と少し安くなってきているが、驚く事に海外メーカー品の一部が大幅に価格を下げていた。日進月歩の世界とはいえ、わずか2ヵ月足らずで価格は約1/3、なんと4980円で売られているのもがあった。これはバルク?(つまりアウトレット)、急いで秋葉原の店へ直行し商品を確認すると、それはちゃんとしたパッケージ商品だった。メーカーはメモリで有名な会社で、しかも転送速度が高速タイプ。これはお買い得なので、さっそく購入しその場で動作確認。あっさり認識され、めでたく大容量メモリは新しいデジカメの専用メモリとなった。

2004年10月7日    またまた初期不良
ようやく本格稼動を始めた新型カメラ、FZ20。今回は屋内の写真もあるから、どんな風に写っているんだろうと、さっそく東京よさこいの写真をチェック。解像度はまあまあ、ノイズもNRを入れていたので心配したほどの事もなく、概ね良好な写りに見えた。がしかし、よく見ると黒い衣装の上に赤い点が複数見える。画面を動かしても輝点の位置が変わらないので、これはモニターのドット欠けではない。念のため前後の写真をチェックしてみると、画面中央部が明るい時は正常、中央部に黒い衣装や影が入ると赤いドットが現れる。これは間違いなくCCDのドット欠け、というか不良ドットが存在する。あ〜、またやられた。デジモノは初期ロットを買うなとよく言うが、これはこういう事が多発するからで、製造ラインが安定するまでは不良品に当たる確率が高いのだ。ただでさえこのFZ20、すでにメーカーからフードの不具合が発表されている。それ以外にも発売日に製品を間に合わせるために、工場でかなり無理な作業をやったという事がささやかれている。ついでに言えば検品も甘いからこういう商品が市場に出回るわけで、これはもうパナソニックというメーカーの姿勢を問いたい。とりあず販売店に電話して、迅速な対応をお願いする。販売店の話では、症状さえ確認されれば交換は可能らしい。しかし今この機種の在庫がなく、他の店から取り寄せになるので多少時間がかかるとの事。それでもその日のうちには来るというので、指定時間に店に行く。この症状はモニタでも充分確認できるレベルなので、即刻交換が可能となり、お詫びとして128MBのメモリを貰って家に帰る。代替品の製造番号は4441XXX、これは前より若い番号。つまり不具合の出る可能性が高いわけで、また初期不良との戦いが始まりそうだ。

2004年10月5日    まだまだ雨の東京よさこい
ますます降り続ける雨、適当に時間をやりすごし雨の当たらない場所に退避していると、突然音楽が鳴り始めステージが始まる。慌ててステージ前に走るが時すでに遅く、そこは傘の列で前が見えない状態になっていた。トップバッターはFunny、踊っているの姿が列の隙間から僅かに見えるが、入り込める余地がないので、傘をたたみカニ歩きで少しづつ前進。かがんだままなんとか前列に入り込み、懐に忍ばせたサブのカメラを出す。こんな時はコンパクトデジカメの圧勝、ずぶ濡れになりながらも隙間からパシャパシャ。チームが入れ替わる時にちょうど前が空いて最前列に進出、傘を出しタオルであちこちを拭いて再度スタンバイ。午前中と同じ4チームの演舞を見て、この会場を後にした。軽い昼食を取り控室で休憩、しかしここでトラブル発生。先ほどの雨でリュックの中に雨水が浸入、デジカメやメモリ、その他所持品等全て濡れてしまっていた。これは一大事、デジモノは水に弱いのだ。カメラは浸水したら最後で動作不能、万が一助かっても後でレンズがカビたりするので、雨の日の扱いは充分に注意が必要。メモリなんて濡れたら最後でデータ消失、乾かしてもちゃんと動作する事は稀なので、保管は厳重に。幸い専用アルミケースに入れてたのでこれはセーフ、2台のカメラをタオルで必死に拭いて、これからの出陣に備える。なおも降り続ける雨、今度は野球帽にビニール合羽で完全雨対策をし、駅前商店街方面へ向かう。西口公園前を通り過ぎようとしたら、なにやら見たような衣装を来たチームが見えてきた。しかしそのチームは今日はエントリーは入ってないはず、通り過ぎようかと思いつつも近寄ってみる。舞の文字が見える、そして連、坂戸、お〜、こんな所に舞坂戸連がいる。驚き! 何でだろうと思ったら他のイベントが中止になって、急遽当日エントリーを果たしたらしい。恐るべし舞坂戸連、手ぶらで帰る事を許さないそのお祭り精神に脱帽。

2004年10月3日    またまた雨の東京よさこい
数日前からいやな予感がしていた。朝目が覚めたらベランダでパラパラという物音・・・、東京よさこいは今年もまた雨になった。正直なところ、今回は雨が降ったら行くのをやめようと思っていた。しかし事前のお知らせやお誘いのメール、書き込みなどがあり、なんとなく行かざるを得ないような状況。とりあえず合羽やビニール等雨具の用意をして、重たい足取りで池袋へと向かう。会場は全部で10箇所、まずは唯一雨の当たらないサンシャイン噴水広場へ足を運ぶ。ここは開始時間が11時と早く、お昼前にはもう終わってしまう超特急の会場。自宅から池袋までは距離があるので、会場に着いた時はすでに最初のチームの演舞が始まっていた。ここでの演舞は全部で7チーム、ステージが手狭なので周りは人だかりで、入り込む余地が殆どなかった。3チームをやり過ごし、ステージ前に入れたのは4チーム目のFunnyから。甲斐◇風林火山までの計4チームをなんとか撮りきり、次の会場である西口公園へと移動を始めていた。と、ある係員から呼び止められる。ステージにMDの忘れ物があり、該当チームを探しているとの事だった。そのチームは西口公園へ移動するのがわかっていたので、簡単なやりとりの末、ディスクを預かりチームに渡す事になった。噴水広場から西口公園までは徒歩15分、演舞の開始時間までは30分足らずだったので、急いで行ったらまだどのチームも来てなかった。主要チームはバスで移動、道路が混んでいたので到着が大幅に遅れ、会場の開始時間が1時間繰り下がった事を知らされる。いきなり拍子抜け、チームの踊り子を見つけてディスクを渡し、雨の中何もない1時間が過ぎていった。(続く)

2004年10月1日    外資の保険屋
次々と雑誌媒体が廃刊となり、厳しさを増す広告業界。フリーの身であるゆえ業界動向には敏感であるが、そんな事情を知ってかこのところ他業界からのお誘いがよくある。一番多いのは外資の保険屋で、これは各社・各支所からしょっちゅう来る。もちろん保険屋なんてなりたくもないし、一時的には稼げても現場がキツイのはわかっているので二つ返事で断ってきた。しかし外資の参入や生保・損保の相乗りで業界が大きく変化し、「保険=おばちゃんの仕事」という図式が崩れてきた。またファイナンシャルプランナーの需要が高まり、社会的ステイタスや収入が上がってきているのも事実。単純に保険を売るというよりも、コンサル的ビジネスとして取り組んでいる人もいるようだ。色々考えているところにまた別の外資系企業から案内が来た。あまりCMをやってないし、人の採用も積極的にはやってない比較的新しい会社。大きな封筒の書類が速達で送られてきて、面談日が近々の日程で指定されていた。今回も放置しようかと一瞬思ったが、多少なりとも気になる部分があったので、とりあえず担当者に電話。向こうは急務で人を集めているらしく、説明だけでも聞きに来てくれというお馴染みの口説き文句。ただ他の会社と違う雰囲気があったので、興味本位で一度足を運んでみる事にした。一度目は担当者の説明だけで、本部のスカウトがいる時に再度足を運ぶ事になり、それが今日。会社を訪問すると、担当者と一緒にスカウトが出てきて、さっそく話が始まった。意外と若いこの男、こちらの質問に対しては的確に答え、冷静に話を進める。そう、スカウトとは百戦錬磨の勧誘職、こういう事は毎日やっているのだ。しかし仕事で人の採用をやっている割には、そのやり方が無骨で説得力に欠け、聞いてて面白くない。採用に関しての知識はこちらの方が何枚も上、話の矛盾点を指摘し、逆アドバイスをして今日のところは許してやった(笑)。


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