悪戦苦闘日記


2005年2月28日    アナログかデジタルか
我が家のAV機器は年期が入っている。ナショナルのBCLラジオが1977年製、パナソニックのCDラジカセが1986年製、NECのテレビが1989年製、シャープのビデオデッキが1989年製で、全て現役で動いている。毎日使っているのにいまだ故障がないのは驚異的で、国内メーカーの技術の高さをうかがわせる。が、機器の劣化は少しづつ進んでいる事に違いはなく、このところビデオデッキの調子がおかしくなった。このビデオデッキはVC-S700という機種で、S-VHS対応、9アモルファスの19μヘッドを搭載している、当時としては最高級の代物。発売当時の定価は16万円で、ディスカウントショップで半額程度で売られていたものをゲットした。さすがに画質は申し分なく、今のS-VHSデッキやデジタル機器などは遠く足元にも及ばない。しかし年末頃から録画の動作が緩慢になり、予約録画をすると頭15分くらいがブチブチと切れ、時おり画像が砂の嵐となる。おそらくこれは駆動系のエラーで、ローラーを回しているベルトが緩んできてるので、このまま使い続けるのは御法度。ベルトは10年前に一度交換しているが、これは消耗品と考えた方がよく、まだ使うなら修理・交換が必要。しかし修理費用は工賃だけでも1〜2万円かかり、下手をすると新しいビデオデッキが買えてしまう。治すか買うか、それが問題だ。最近は録画といえばHD内蔵型DVDが主流で、ビデオデッキはまともな性能のものが少ない。BS内臓のS-VHSとなればさらに選択の余地はなくなり、三菱のBX500かパナソニックのSV150Bかのどちらかを選ぶしかない。(ビクターは問題外) しかしこれらは生産完了で在庫流通があるだけ、入手は非常に困難な状態だ。はたしてどうなるビデオデッキ、思い切ってDVDを買うか、新しいビデオデッキを買うか、今のものを修理するか、悩みは尽きない。

2005年2月25日    風邪か花粉か
春一番が吹いてようやく暖かくなったかと思ったら、翌日には雪が降り真冬に逆戻り。異常気象ではないにせよ、これだけ寒暖の差があると体調もおかしくなり、咳やくしゃみ、鼻水が止まらない。インフルエンザではない事だけは確かだが、また風邪をひいたかそれとも花粉症か、とにかく体がだるいし力が入らない。そういえば今年の花粉飛来量は昨年の30倍なんて言われていて、これからの時期をどう乗り切るかは大きな問題である。一応喉スプレー、花粉用目薬、点鼻薬、鼻炎カプセル等一通りの薬は揃えてあり、外出時にマスクも常用している。にもかかわらずこの状態、もしこれが花粉症ならこれからのシーズンはまともに過ごせそうにない。以前病院でアレルギーを調べてもらった事があり、IgEレベルはスギがクラス4、ヒノキがクラス1と陽性の反応が出た。アレルギーの最高値はクラス6で、クラス4でもスギ花粉に関してはかなり強い拒絶反応を起こす。根本的な治療方法がないため、症状が酷い時は鼻炎カプセルで凌ぎ、黄砂が飛ぶような気象の時は外出しないようにする、これが今年の対策のようだ。ある日突然始まる花粉症、今回新たに発病する人がかなり出そうな予感。

2005年2月22日    16年目のスーパーマルキン号
我が家の愛車、ママチャリのマルキン号の後輪がパンクした。ただのパンクではない。タイヤのチューブが劣化して穴が開き、その間からはみ出したチューブが地面に直接触れて、そこに小さな石が刺さったのだ。もう16年も乗っているこの自転車、適当にメンテはしているとはいえ酷使されてるため痛みが酷く、数年前に交換した後輪ももう限界に来ていた。チューブは数年前に変えていたため修理可能な状態で、100円ショップで買った修理キットのパッチを貼ってその場を凌ぐ。しかしタイヤは前後とも磨耗が酷いので、この機会に新しいものと交換する事にした。前後のタイヤ&チューブ交換は修理に出すと費用は約9000円かかり、下手をすると新しい自転車が買えてしまう。ここは自分でやる事として、パーツを探してディスカウントショップを回る。最近はなかなかパーツだけを売ってる店は少なく、4店目でようやく自転車&備品を売っているコーナーがあった。そこで無造作に積まれている1本1030円の純正タイヤを発見、これを2つ買って帰った。いよいよ修理、自転車のタイヤ交換は大変で、特に後輪は手間がかかる。変速機、ブレーキ、チェーン等全ての部品を外し、車輪を取り出しタイヤをはがす。ここまでが2時間、そして新しいタイヤを付けて元に戻すのがさらに2時間、手間もパワーもすこぶるかかる。休む暇もなく今度は前輪、後輪に比べれば簡単に外れるが、痛みの度合いが酷くチューブが細かく裂けていた。慌てて新しいチューブを買いにディスカウントショップに走り、戻ってまたすぐに作業を続ける。新しいゴムのチューブはリムとの相性が悪く、作業にまた2時間を要した。作業時間6時間、費用2740円、非常に能率の悪い割の合わない1日だった。いまだ筋肉痛は続く・・・。

2005年2月18日    ウイルスノチカラ
ゆらゆらゆら頭が揺れる フラフラフラ足はふらついてる・・・。インフルエンザ生活も今日で6日目、熱は一向に下がる気配はなく、いまだ自宅軟禁状態。正直なところ、これだけ高熱が続くとは思ってなかったし、インフルエンザなんて過去の産物と思っていた。かかっても抵抗力の弱い老人か子供、大人がかかるという認識はなかったので、病院に行ってインフルエンザと判定された時は少々驚いた。最近は簡単にウイルスの有無、A・B型の判定が出来る診断キットがあり、10分も待てば結果が出る。これでインフルエンザと判定されれば薬を処方され、あとはじっと自宅で治療に専念するだけ。しかしこれが辛い。病院で処方されるのはタミフルというA・B型共用の抗ウイルス薬と解熱剤。タミフルは特効薬で、インフルエンザにはよく効く事は知られている。だが発病から48時間を過ぎていると殆ど効果がなく、継続して飲んでも病状の改善は望めない。自分の場合はモロにこのパターンだった。解熱剤は有効なので飲めば一時的に熱は下がり、38〜38.5度前後に留まる。しかし1時間もすれば効果がなくなり、すぐに39度以上の熱が出る。高熱が出て動けなくなるというのは病人の戯言だと思っていたが、いざ自分がそうなってしまうと本当にこれが動けない。動く気力も体力もなく、感覚が麻痺して、自分が何を言ってるのかさえわからなくなってくる。吹き出す汗、全身に走る得体の知れない痛み、何の施しようもないただ耐えるだけの状態が延々と続く。夜は眠れず昼間は朦朧とし、知らぬ間に世の中は1週間を経過していた。

2005年2月14日    バレンタインはインフルエンザ
世間はバレンタインデーで大騒ぎなのに、貰って来たのはインフルエンザ。一昨日の夜から体の節々が痛くなり、昨日夕方には突然熱が出て39度まで上がる。最初は普通の風邪だと思っていたが、あまりにも熱が高いのと体の痛みを伴う症状あるので、インフルエンザを疑っていた。検索エンジンを駆使して情報を集めてみると、症状はまさにインフルエンザ、ウイルスが体の中に潜伏していたのだ。予想通り熱は全く下がらず、痛みで布団の中をのた打ち回り、そのまま外が白み始める・・・。水分を充分に取り、トレーナーを3枚重ねにし、部屋の温度を高めにして床に就いたのにこのありさま。あまりにも体が痛いのと、頭痛も併発してきたので、薄暗い部屋の中で常備薬を探す。インフルエンザは鎮痛系の一部解熱剤が使えないため(副作用で死亡例あり)、ネットで調べて大丈夫そうな薬を選んで勇気を持って一気飲み。薬はイブプロフェン、解熱効果もあるこの薬が功を奏して熱は一気に37度までダウンし、痛みも緩和されしばし眠りに付く。朝になって熱が上がる気配はなかったが、インフルエンザは症状を繰り返すので、念のため病院へ行き検査を受ける。そこでようやくインフルエンザB型との判定を受けた。インフルエンザにはA型とB型があり、A型にはソ連型と香港型がある。またC型というあまり流行しないタイプもあり、それぞれ対応する薬が違ってくる。しかし最近はA型・B型共用のタミフルという薬が開発され、発症から48時間以内なら薬の治療効果は高いといわれている。これと解熱剤のコカールを貰って、吸入等簡単な処置を施され家に帰る。治療費3220円はちょっと痛いが、再発して悪化する事を考えればやむを得ない出費。しばらく自宅安静を余儀なくされた、チョコレートとは全く縁のない1日。

2005年2月11日    吉野家牛丼復活祭
吉野家から牛丼が消えてちょうど1年、忘れかけていたあの味が帰ってきた。1年ぶり、1日だけのこの復活、全国各地にストックされていたアメリカ産牛肉の在庫に、他の外国産肉をブレンドさせたもの。値段は牛丼並が300円、大盛が400円で、売切れ次第終了となっている。サービス開始の2月11日午前11時、全国の吉野家の前には大行列ができ、テレビ局、新聞等マスメディアがそれを追いかける。巨大掲示板2チャンネルでは毎度お馴染み「吉野家祭り」が開催され、多くの人を巻き込んで、全国各地の状況がリアルタイムで中継される。テレビでニュースを見ながら、いつ参戦するか状況をうかがっていると、大阪のある店に車が突っ込んだという話が入ってきた。けが人が出ても営業を続ける店、黙々と牛丼を食べ続ける客、待ちに待った牛丼は何事があっても止められないようだ。そして午後2時、いよいよ出陣を決め家を出る。自宅から歩いて行ける吉野家は4軒あり、一番近い店はすでに大行列ができているとの情報が来たので、そこをスルーして川崎方面に足を向ける。街の中心部にある川崎駅前店は避け、川崎店に行ってみると、店の前は黒山の人だかりで入店を断念、穴場と思われる京急川崎店へ行ってみた。店の前には数人が並んでいて、テイクアウトを待っていた。しかし店内はちょうど空席ができたところで、入店して即刻席に座る事ができた。並のつゆだくを注文し、しばし待つ。普段より少し長めに待って出てきた牛丼、味は以前とあまり変わらないものの、多少肉に筋があり硬い感じ。しかもつゆだくを頼んだのに、つゆなしと言った方がいいような代物を出されてちょっとガッカリ。混んでいたのでクレームは付けずにそのまま食べ終わり、早々に店を出た。思わず頭をよぎった吉野家コピペ。

2005年2月8日    ウィルコムにウェルカム!?
安くて便利で何でもできるのが「京ぽん」、端末は携帯でなくPHSなのでキャリアはDDIポケット。そのDDIポケットが身売りされ、外資と京セラが手を組んで新会社、ウィルコムとなった。組織はすでに変わっていたが、2月2日に新社名となり、同日新たなサービスを行う通信キャリアとしてスタートした。サービス開始と同時に購入したPHSは、カシオ→パナソニック(2回)→京セラと4度の機種変更を経て現在に至り、いまだ携帯に乗り換えることなく使っている。むしろ新会社となっても従来の料金体系が維持され、高速化サービスも始まるのでその期待の方が大きかった。しかしいざ蓋を開けてみると、高速サービスに関しては一定期間を経て有料となる事が決まっていて、その内容も大きく期待を裏切るものだった。「メガプラス」というこのサービス、以前無料ソフトとして配布されていた「トルネードWeb」そのもので、これをサーバー側で制御するだけのもの。ソフトが改良されてないのか体感速度は以前と殆ど変わらず、これの利用料金が月額1050円。また端末そのものの高速化サービスは別料金となっていて、さらに315円かかる。合計1365円、今まで無料で使えてたものに新たな課金をしようというこのやり方は、サービスでなくむしろ便乗値上げ。しかも高速化サービスを使うと画質が悪くなり、これではとても新サービスとはいえない。利用料金に各種割引は適用されないので、その分キャリアは丸儲けという事になる。アステル撤退(沖縄はウィルコムに吸収)、NTTヤル気なしのモバイル市場独占状態で、はたしてユーザーが金額に見合ったサービスを受けられるかどうか。ウィルコムにウェルカムとはまだまだ言えない。

2005年2月5日    節分の戦利品
節分とは季節の分かれ目の意味で、現在は立春の前日のことを指す。豆まきは元々中国の風習で、疫病などをもたらす悪い鬼を追い払う儀式として始まったもの。各地で様々な行事が行われる中、自宅近所の日枝神社でも豆まきがあるというので行ってみた。ここの豆まきは夕方からで、参加するのは去年に続いて2回目。開始10分前に神社に到着したが、境内は昨年の倍以上の人で膨れ上がり、入口周辺から長い列ができていた。列の先を見ると何かふるまわれていて、行ってみると貰っているのはコロッケだった。節分にコロッケを食べる!? あまり聞いた事のない話だが、これは関西から広まっている巻き寿司の習慣みたいなものだろうか(違うと思うけど)。列に並ぶまでもなくコロッケは終了したので、代わりに出てきた冷えた甘酒を貰い、一気に飲み干す。そうこうするうちに開始時間寸前となり、場内は一気に殺気立って、子供達の目が血走っている。そう、ここの豆まきは豆よりも他の物が飛んでくる事が多く、バナナやみかん等の果物、お菓子、ティシュペーパー等何でも投げられる。特にバナナや飴は顔に当たと危険なので、それなりの防御が必要。また一部のみかんには当たり付があり、その当たりを取ると別に景品が貰える事になっている。◎と○があり、◎が大当たり、○は当たり、それを目指して壮絶な戦いが展開されるのだった。いきなり始まる豆、いや物投げ、老若男女の容赦ない激しい攻防戦が始まり、場は一気にヒートアップ。人が多くて身動きができないので、ビニール袋を袖に突っ込んで、大物だけを狙ってジャンプを繰り返す。物投げ終了・・・、結果は豆袋5個、みかん3個、お菓子3個、ティッシュ1個だった。そしてみかん3個のうち2個がなんと◎の大当たり〜、今回の商品は高級絹靴下だったので、さらにそれを2足ゲット。ちょっとあさましいけど、女子供相手の勝負事にはめっぽう強い(笑)。

2005年2月2日    怒涛のアポイント
いつもは暇なのに(激ヤバッ)、用事がある時は1日に集中したりする。今回も1日にアポイントが5件も重なり、時間のやりくりに大わらわ。予定は11時30分に大井町、13時に神田、13時30分に神保町、15時に銀座、16時30分に渋谷、17時30分に同じく渋谷。それぞれ1時間程度の時間を要するので、移動を考えるとこれをこなすのは至難の技と思えた。10時30分に家を出て、まずは最初のA社へ訪問。ここは情報誌の印刷を依頼していた会社で、営業部長としばし雑談&情報交換。ちょうどお昼に話は終わり、次の目的地である神田へ移動、といってもこれは昼食のためで、噂の讃岐うどん屋「丸香」に行く事だった。神田の駅を降りて、地図を見ながら店を探していると、向こうから見た事のある人間が歩いて来た。それはB社の社長で、先ほどのA社印刷の情報誌を一時期一緒に作っていた事がある。何という偶然、さっき噂をしたばかりだったのに、さっそく本人に会うとは。しばし立ち話をして、時間がないので丸香に向かって急ぐ。なんとか営業時間に滑り込み、ウマーなひと時。次のC社はここから近いので、歩いて移動する。ここは社長からの呼び出しで、その後社主同席のフリートークとなり話はヒートアップ。おかげで時間が押して銀座到着はギリギリ、冷汗をかきながらのD社訪問となる。ここもまた社長からのお呼びで、会うのは今回が初めて。制作畑一筋の社長はちょっとオカマっぽくノリが悪いので、そこそこで切り上げ次のアポへと向かう。E社の部長と渋谷で落ち合い、小一時間話をして、終了後その場からF社部長に電話。元G社社長でもある彼に、次の仕事に向けての根回しをして、ようやくこの日の予定を全部終えた。久々の業界回り、しかしこれだけ回っても殆ど収穫はなかった。キビシー!


前のページ 目次 次のページ

戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送